【大河ドラマ】どうする家康 41話~48話

このページは、NHK大河ドラマ「どうする家康」の感想ページです。
あらすじなどを含むので、読む際はご注意ください。

2023年のNHK大河ドラマの主人公。『徳川家康』
駿府城にある家康公の銅像をアイキャッチにしてます。
家康は、晩年の65歳から亡くなる75歳までの10年間を駿府で過ごしています。

目次

第48回(2023/12/17)  神の君へ

大坂夏の陣の最期は
本能寺の変の信長に匹敵する演出
『お市』『茶々』を見事に
演じ分けた北川景子さんの代表作やね👍

「吾妻鏡」と「源氏物語」で
昨年と来年の大河のリレー😲

家康は「ただの白兎」
多くの家族と家臣に支えられ
天下泰平😋

海老すくい♪海老すくい♪

#どうする家康
https://x.com/lix05410289/status/1736357075603849218

【あらすじ】
徳川VS豊臣の最終決戦「大坂夏の陣」(慶長20年、1615年)。
徳川家康が豊臣との決戦に踏み切り、乱世を終える覚悟で自ら前線に立ちました。真田信繁らは家康の首を狙って攻め込みます。徳川優勢の中、千姫は茶々と豊臣秀頼の助命を訴えましたが、家康の決断は非情でした。
翌年(元和2年、1616年)、高僧・南光坊天海は家康の偉業を称え、乳母・福(のちの春日局)は竹千代(のちの徳川家光)に「神の君」の逸話を語ります。江戸が活気に満ちあふれる中、家康は突然の病に倒れ、最期を迎えます。

第47回(2023/12/10) 乱世の亡霊

乱世の生き残りを
根こそぎ引き連れて
滅ぶ覚悟でございます

共に行こうぞ、家康…!!!

最高傑作の豊臣秀頼😲
こんな秀頼は見たことない。

ドラマの盛り上げ方がすごい😋

乱世が生み出した
最後の化け物は
やっぱり
家康自身やね
当時、70超え

次回、最終回
#どうする家康
https://x.com/lix05410289/status/1733816235551596719

【あらすじ】
「大坂冬の陣」(慶長19年、1614年)の和睦から、徳川VS豊臣の最終決戦「大坂夏の陣」(慶長20年、1615年)に至る経緯が描かれました。
徳川家康がイギリス製の大筒で攻撃を敢行し、難攻不落の大坂城が崩壊。茶々の妹・初と阿茶局が話し合い、豊臣秀頼は大坂に留まるものの、城の堀を埋めることを条件に和議を結びます。しかし、乱世を求める荒武者たちが全国から大坂城に集まり続け、豊臣滅亡まで平穏は訪れないと、家康は再び兵を進めます。そんな中、初と江は姉・茶々を止められるのは家康だけだと訴えます。

第46回(2023/12/3) 大坂の陣

信長や秀吉と同じ地獄を背負う
それが儂の最後の勤めじゃ

家康の周りは寂しくなりましたね😢
本多正信
渡辺守綱
古参は2人だけ

大筒が準備されている時点で
大坂城対策はバッチリ👍

援軍が期待できない中での
豊臣側の籠城策は
下策だよなぁ~🤫

千姫を守る茶々様は斬新😲

#どうする家康
https://x.com/lix05410289/status/1731286234205737419

【あらすじ】
「方広寺鐘銘事件」(慶長19年、1614年)と「大坂冬の陣」(同年)。
豊臣家復活を願う方広寺の鐘に、徳川家康を呪う言葉が刻まれたという噂が広まりました。家康は茶々に徳川に従い、人質として江戸に来ることを要求。これに激怒した大野治長(修理)は、両家の仲介役である片桐且元の暗殺を計画します。家康はついに14年ぶりの大戦に踏み切り、全国の大名に呼びかけて30万の大軍で大坂城を包囲。三浦按針が手配したイギリス製の大筒を配備しますが、徳川軍の前に立ちはだかるのは出城「真田丸」でした。
決戦は避けられず、徳川軍30万に対し、豊臣軍は10万。齢70の家康も「最後の戦」に臨みます。大坂城の南、約1里の茶臼山に本陣を構え、指揮を執ります。

第45回(2023/11/26) 二人のプリンス

秀頼と秀忠
氏真と家康
秀頼と家康
秀吉と秀頼
正信と正純
茶々と千姫
老いと若き
豊臣と徳川
王道と覇道
対比が多い回でしたね😋

時計は、
地獄へのカウントダウン🤫

秀頼の賢さと
豊臣側が仕掛けた流れも
斬新ですね😲

#どうする家康
https://x.com/lix05410289/status/1728742653582537071

今川氏真
戦国大名としては、
滅びてしまったが、
戦国の世を生き延び、
戦国の最期を見届け、
人生は幸せだったかもしれないなぁ🤫
https://x.com/lix05410289/status/1728743548319825965

【あらすじ】
「二条城会見」(慶長16年、1611年)と「方広寺鐘銘事件」(慶長19年、1614年)。
関ヶ原の戦いに敗れ、牢人となった武士たちが豊臣家の下に集結。これを憂慮した徳川家康は、若き当主・豊臣秀頼を二条城に呼び、自らの権威を誇示しようとします。しかし、世間にお披露目された秀頼の麗しさに人々は熱狂し、豊臣人気が再び高まります。脅威を感じた家康は、徳川秀忠の世に憂いを残さぬため、自らの手で豊臣との問題を解決しようと試みます。そんな中、豊臣が再建した方広寺の鐘に刻まれた文言が大きな火種となります。

第44回(2023/11/19) 徳川幕府誕生

井伊直政
榊原康政
本多忠勝
徳川四天王が皆、逝った😭

「関ヶ原はまだ終わっておらぬ」
徳川の時代を作るため、
豊臣との戦いは決めている感じですね😲

秀頼は
茶々の愛を受けて
大きく大きく成長してますね。
浅井家の血筋ですね🤫

#どうする家康
https://x.com/lix05410289/status/1726206234641236425

【あらすじ】
徳川四天王の残る3人、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の最期が描かれました。
徳川家康は大坂城に戻り、関ヶ原の戦勝を報告します。しかし、茶々から豊臣秀頼と孫娘・千姫の婚姻を強いられ、不満があらわになります。時は流れ、慶長8年(1603年)、家康は征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きます。ウィリアム・アダムスらと国づくりに励む一方、徳川秀忠の頼りなさが不安の種となります。
家康は秀忠に“帝王学”を指南し、1年のうちに征夷大将軍を引き継ぐと伝えます。
康政は慶長11年(1606年)、忠勝は慶長15年(1610年)、家康より早く天に召されました。

第43回(2023/11/12) 関ヶ原の戦い 

三成の評価が高すぎるよな~
巻き込まれて、
関ケ原で負けちゃったのを
全部押し付けられた可哀想な武将😅
そんなイメージです🤔

家康は、
戦う前から
結果が決まっているかのような
王道とも言える戦ぶりでした🫡

茶々様の言う通りで、
毛利輝元を頼った時点で
負け確定でしたね🤫

#どうする家康
https://x.com/lix05410289/status/1723669448593416422

結果的に天下分け目でしたが、
数時間で終わるとは
誰も思ってなかったでしょうね🤫

#どうする家康

小早川秀秋は
今までとは違って、狡猾で良いですね
これぞ、
小早川家を継ぐ者にふさわしい姿です😋

天下分け目
戦の勝ち負けを見極める人は
これぐらいじゃないと😋
https://x.com/lix05410289/status/1723669838168772902

【あらすじ】
ついにクライマックスを迎えた「関ヶ原の戦い」(慶長5年、1600年)。徳川秀忠率いる主力軍が真田の罠にハマり、到着しない中、徳川家康は数的不利を承知で野戦勝負を決断。決戦の地に関ヶ原を選び、大量の密書をバラまいて敵を切り崩しにかかります。西軍の石田三成も兵を進め、両陣計15万が集結。天下分け目の大戦が始まります。一方、大坂の茶々は家康の調略に揺さぶられる毛利輝元に不満を募らせます。
美濃・赤坂、徳川の陣。秀忠の本軍3万は遅参。秀頼と毛利本軍が三成に付けば、東軍は大ピンチに陥ります。家康が調略の状況を問うと、黒田長政は「既に内応を約束している吉川広家を通じて、小早川秀秋、毛利輝元に調略を繰り返しております。されど、最後に蓋を開けてみるまでは」と答えます。家康は直政に「こう言いふらせ。小早川は既に、家康に内応しておると」と指示します。
美濃・大垣城に、小早川の姿はまだありません。三成は秀頼と毛利本軍3万の到着を待ちます。西軍は10万。
家康の作戦は秀忠の到着をあきらめ、大垣城もスルー。西(関ヶ原)の大谷吉継(刑部)を攻めれば、三成は大垣城を出て追ってくるしかありません。得意の野戦に持ち込む構え。その家康を毛利や小早川と挟み撃ちし、袋の鼠に。これが三成の狙いと読み切ります。
家康は、決戦の地・関ヶ原へ出陣します。三成が「食いついた」と作戦的中を確信した瞬間、小早川が松尾山に着陣したとの報告。どちらにも転べるよう、戦況を見極めるには最適の場所でした。小西行長に「紛れもなき、乱世の武将ぞ」と称えられた三成も出陣します。
9月15日、関ヶ原。両陣営15万が対峙。一夜明けると雨は上がり、深い霧に包まれました。家康は関ヶ原の東にある小さな丘、桃配山に布陣。桃配山を守るのは本多忠勝(平八郎)、前線の平野には井伊直政らが配置されました。三成は関ヶ原の北西にある笹尾山に布陣。中山道筋に吉継、松尾山に小早川。桃配山の背後、南宮山には吉川らが控え、東軍を取り囲むことに成功しました。
午前開戦。東軍は直政が先陣。西軍が地の利を生かし、優位に進めます。吉川率いる毛利勢から背後を突かれれば、一巻の終わり。長宗我部盛親から出陣を催促された吉川は、腹ごしらえのため動かない。いわゆる毛利秀元の「宰相殿の空弁当」。小早川も吉川も動かず。ここがターニングポイントとなり、家康は「前へ出る。敵に時を与えるな。今この時、一気に勝負を懸ける」。2万の主力を三成の目と鼻の先に押し出しました。三成も総がかりとなりましたが、総大将が敵陣ど真ん中に飛び込んだことにより「おかげで敵は怯み、味方は士気が上がっております」(忠勝)。小早川は「流石、戦巧者よ。我ら小早川勢、山を駆け下り、一気に攻めかかる。目指す敵は、大谷刑部!」。吉継は「治部よ!さらばだ」と盟友の名を叫び、別れを告げました。
東軍の勝利。直政が島津勢を深追いし、被弾。負傷したものの、一命は取り留めました。

第42回(2023/11/5) 天下分け目

稲姫様🙇流石、忠勝の娘👍
あの真田昌幸に一歩も引けを取らず😲

伏見城の戦いを描いてくれるのは
凄くうれしい😋
ここでの粘りが西軍の奇襲的挙兵を無効にし、
全国に畿内の情勢を伝え、
家康に勝利を導いたのは間違いない👍

千代さんは強いすぎる。。
彦と千代さん、ありがとう😢

#どうする家康
https://x.com/lix05410289/status/1721132222919696583

西軍は
兵を
関ケ原(美濃方面)
北陸
伊勢
大坂・畿内
へ分散しすぎでしたね😅

伏見城の戦いを描いたドラマは
素晴らしいかったよ😋
https://x.com/lix05410289/status/1721132603246600486

【あらすじ】
徳川家康を支え続け、「三河武士の鑑」と称された鳥居元忠(彦右衛門)の最期が描かれました。武田の元忍び・千代との夫婦愛も描かれました。徳川家康が上杉征伐に向かう中、石田三成の挙兵の報が届きます。「小山評定」では、西国大名の多くが三成に付く中、家康は天下分け目の戦に臨むため西へ戻ると宣言。徳川秀忠に真田昌幸の攻略を託し、江戸に戻って各国大名に応援を働きかけます。一方、千代とともに伏見城を守る鳥居元忠は、三成の大軍に囲まれ、最期の時を迎えます。
天下分け目の「関ヶ原の戦い」の前哨戦である「伏見城の戦い」(慶長5年、1600年)。
元忠軍2000に対し、三成軍4万。
血痕が残る伏見城の床板は、京・養源院などの天井にして供養され、「血天井」と呼ばれています。

第41回(2023/10/29) 逆襲の三成

鳥居元忠と家康のシーンはよかったね。
大坂・京で何かあるのは
想定の範囲内だから、厳しい任務。
伏見城の戦いは次回ね。
千代さんもいるから、そこも注目😋

三成を後ろで動かしたのは「茶々様」😲
家康と三成の両天秤って、
めっちゃ悪女やん🤣
凄い説だしてきたね🤣

#どうする家康
https://x.com/lix05410289/status/1718595786441982040

【あらすじ】
徳川家康の決断により、石田三成は近江・佐和山城に隠居。家康は大坂城・西ノ丸に入り、政治を意のままに操り、周囲から天下人と称されるようになります。しかし、茶々はその状況を苦々しく思っています。そんな中、会津の上杉景勝が謀反を企てているという噂が広がります。家康は天下泰平のため、茶々から上杉征伐に向かうべきだと諭されますが、大坂を離れることに一抹の不安を抱きます。そこで、留守を鳥居元忠に託すことに決めます。
この展開は、天下分け目の「関ヶ原の戦い」(慶長5年、1600年)の起点となった「会津征伐(上杉征伐、会津攻め)」に繋がります。
慶長5年(1600年)6月15日、家康は茶々に報告し、黄金2万両と兵糧2万石を授けられます。6月17日には伏見城に入り、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、本多正信ら家臣団も集結。三成の挙兵に備え、上方を元忠に託します。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次